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道端の花に話しかける|一日五分の、いちばん小さな奉仕

しぜんのまほう
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しぜんのまほうでは、いつも「まずは体から」とお伝えしています。

食を整える。

呼吸を整える。

ハードウェアが先、というのがこの庭の順番です。

でも今日は、その先にある話を少しだけ。

体が整ってきた人が、次に自然と向かっていく場所の話です。

keko
keko

ある治療家の方から教わったこと

昔、誠実な治療家の方の言葉に出会いました。

奇跡のような癒しの働きをされた方でしたが、その方が人々に最初に勧めたのは、
不思議な修行でも特別な技法でもありませんでした。

それは、こういう内容でした

ほんとうの愛の実践を、一日五分でいいからやってみてください。

相手は人でなくてもいい。

道端に咲いている小さな花でもいいのです。

生命あるものに心を向けて、話しかけてみてください。

小さな実践の積み重ねで、心は大きく拡がっていきますよ。

はじめて聞いたとき、拍子抜けするほど簡単なことだと思いました。
でも、続けてみるとわかります。

ダルマ天使
ダルマ天使

これは簡単なのではなくて、小さいのです。

そして、小さいことと浅いことは、まったくの別物でした。

ルーペで覗いてみる

その方は、こうも言っていました。

道端の小さな花を、一度よく見てごらんなさい、と。

言われたとおりに、しゃがんで覗いてみたことがあります。

名前も知らない、踏まれそうな場所に咲いている小さな花。

ルーペで拡大すると、花びらがあり、おしべがあり、めしべがあり、がくがある。

花屋さんに並ぶ立派な花と、部品はぜんぶ同じでした。

違うのは、ただ小さいというだけ。

欠けているものは、何もない。

だるま王子
だるま王子

このとき、教わったのは花のことではなく、わたしたち自身のことを指していたんだと思う。

いま自分が小さく見えても、何かが欠けているわけではない。

一式、そろっている。

あとは季節をかけて、育っていくだけ。

道端の小さな花を、一度よく観察してみてください。
花屋さんに並ぶ立派な花と、部品はぜんぶ同じでした。
違うのは、ただ小さいというだけ。
欠けているものは、何もありませんでした。

奉仕は「してあげる」ことではないみたい

奉仕という言葉には、どこか気負いがついてまわります。

人の役に立たなければ、誰かを助けなければ、と。

keko
keko

わたし自身、昔は「人を癒せる人になりたい」という憧れを持っていた時期がありました。

いま振り返ると、あの憧れには、少しだけ「特別な自分になりたい」が混ざっていた気がします。

道端の花への話しかけが教えてくれるのは、その逆でした。

花は、話しかけても御礼を言いません。

こちらが「してあげた」ことを、誰も知りません。

証明も、承認も、結果も、何ひとつ返ってこない相手に心を向ける。

この、返ってこない相手に心を向ける練習は、呼吸を観る一分間とよく似ています。

そして不思議なことに、この練習を続けていると、対人面で何かが変わっていきます。

見返りの計算が静かになり、目の前の相手をただ見られる時間が、少しずつ長くなる。

キモダルマ
キモダルマ

奉仕とは、大きな行いのことではなくて、心の向きの習慣のことなのかもしれないね。

食も、呼吸も、同じ場所につながっている

考えてみると、ここでお伝えしてきたことは、ぜんぶ同じ形をしています。

今日の食卓で、体に本当に合うものを選ぶこと。

一回の呼吸を、ていねいに観ること。

道端の花に、五分だけ心を向けること。

どれも小さくて、誰にも気づかれなくて、今日からできる。
そして、どれも「外側の大きな何か」に頼らずに、自分の内側から始まります。

世の中の仕組みを、個人の力でいきなり変えることはできません。

でも、今日の食べるものは選べます。

今日の呼吸は観られます。

今日、ひとつの小さな生命に、心を向けることができます。

大きなことをしようと張り切るのでもなく、自分を追い込むのでもなく。

静かに、目の前のできることを、確実に、そして楽しく。

その小さな積み重ねの先に、何が育っていくのか
── それは、道端であんなに完璧に咲いている小さな花たちが、いちばんよく知っているのだと思います🌼☺️🌱

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