本にも検索にも出てこない話を聞いたら、物差しが生えてきた|情報に振り回されない暮らしへ

検索窓が知らない話
歴史の話を聞いた。
本には載っていない。検索しても出てこない。
つまり、あの何でも知っている検索窓が、知らない話である。

検索窓が知らないことを、わたしは知ってしまった。
ちょっと偉くなった気がした。
気がしただけだった。
布団の中で、人類について考えた
なにしろ、その話はエグかった。
途中で何度も「え、世の中そんなことになってたの?」と固まった。
帰り道、コンビニの明かりがやけにまぶしかった。
あれは絶望の明かりだった。
たぶん蛍光灯のせいでもある。
正直に言うと、聞いた直後のわたしは、しばらく落ち込んだ。
世の中ぜんぶ嘘なんじゃないか、と思ったりもした。
布団の中で天井を見ながら、人類について考えた。
これまで生きてきて、天井とこんなに向き合ったのは初めてだった。

でも、話には続きがあった。
エグい道のりの先に、ちゃんと受け継がれてきた知恵と希望があったのだ。
それを大事に手渡してきた人たちがいた。
ここで、わたしはやっと顔を上げた。
情報に振り回されない物差し
そこから、じわじわと、わたしの中で何かが変わりはじめた。
最初に生えたのは、お金の物差しだった。
お金の得かたを、アートのように考えるようになった。
誰かの役に立つものを、自分の手でこしらえて、手渡す。
それが対価になって返ってくる。
絵を描いて、見てもらうのと、実は同じ形をしている。
そう気づいてから、「ひとり社長」として自分にできることを、考えるようになった。
次に生えたのは、ニュースの物差しだった。
前は、ニュースを見るたびに心がぐらぐら揺れていた。
今は、揺れる前に
「で、これはわたしの暮らしの何を変える話?」と聞き返す癖がついた。
ニュースが変わったわけじゃない。
わたしの足腰が、ちょっとだけ強くなったのだ。
(筋トレはしていない。)
気づけば、情報に振り回されない暮らしに、少しずつ近づいていた。

そしてこの物差しは、あの話を聞いたときにも使っている。
どんなに心に響く話でも、一度は自分の暮らしに当ててみる。
うのみにしない。かといって、はねつけもしない。
自分の足で立ったまま、聞く。
たぶん、それがいちばん誠実な聞き方なんだと思う。
結局、わたしがいちばん受け取ったのは、話の中身そのものより、ここだった。
誰に出会い、誰の話を聞き、何を自分の肥やしにするか。
それで、人生の意味はずいぶん変わる。
だから、日々、自分にも他人にも嘘をつかず、最善を尽くして生きていく。
地味だ。
とても地味だ。
でも、ひとり革命は、たぶんこういう地味なところから始まる。
ひとり革命は、耳を澄ますところから
その話をしてくれた人は、最後にこう言っていた。
ヒントを聞いて「ああそうですか」で終わらせてはいけない。
そこから自分で広げていくものなんだ、と。
それから、起源を知らなければ、
なぜ今こういうことが起きているのかは見えてこない、とも。
話してくれた本人が「うのみにするな、自分で広げろ」と言っているのだ。
これはもう、物差しを持って聞くしかない。
聞く前のわたしと、聞いたあとのわたしは、天井の見え方からして違う。
あなたのまわりにも、本にならない話を持っている人がいるかもしれない。
おばあちゃんかもしれないし、
近所の人かもしれないし、
職場のあの無口な人かもしれない。
その人の話を、一度ちゃんと聞いてみてほしい。
そして、自分の物差しで受け取ってみてほしい。
心と体に平和を宿す革命は、たぶん、耳を澄ますところから始まる。

この記事は、わたしが会員として参加しているコミュニティの講話で、感じたことを書いたものです。
入り口をここにそのまま貼ろうかと思いました。
三日くらい悩みました。
(たぶん蛍光灯のせいではない。)
話してくれた人は、「ああそうですか」で終わらせてはいけない、と言っていました。
なので、ここにも小さなひと手間を置いておきます。
心に残ったところを、ひとことだけ聞かせてください。
お返しに、わたしが耳を澄ませた場所の入り口をお渡しします。

