叔母の最後の言葉から始まった|私が四毒抜きを始めた理由
この記事を書いてからしばらく経ちますが、今も純和食(四毒抜き)の暮らしを続けています。
「もっと早く知りたかった」という気持ちは、今も変わりません。
これは、私が四毒抜きを始めた理由のお話です。

はじまりは、叔母との日々

それは1996年のこと。
私の大好きな叔母が、重い病気と闘っていました。
病院の治療だけでなく、希望を感じられることなら何でも試したい。
叔母はそう願っていました。

そこで、子どものころから「お手当て」をしていたkekoさんに声がかかったんだね。

うん。最初はお手当てだけのつもりだったんだけど……。
お手当てを重ねるうちに、心の交流も深まっていきました。
二人で山や神社へ出かけたり、病気を乗り越えた人に会いに行ったり。
私たちは死んだらどうなるのか?を「無に帰す派」と「魂は残る派」に分かれて真剣に議論し合ったり。
そうして探求を続けるなかで、私たちがたどり着いたのが「病気は食から生まれるのかもしれない」という考え方でした。
最後に交わした言葉
けれど叔母は、ある日、思いがけない形で旅立ってしまいました。
亡くなる2日前、最後に交わした言葉は今も覚えています。
「これからの時代、お手当ては絶対に必要。治ったら、困っている人を助けたい。絶対元気になるからね」
この言葉が、私の心に深く刻まれました。
誰に求められなくても、お手当てを学び続けること。それが叔母への供養であり、世界のためでもある。そう感じたんです。

だから今も、学ぶことをやめてないんだね。

うん。死ぬまで……なんなら死んでも続けるつもりだよ。
壮大な遠回り
数年後、今度は私自身が、長いあいだ子宮の痛みに悩まされるようになりました。
今から思うと、日々の食事習慣と関係があったのかもしれない。
私はそう思っています。
10年以上かけて、食事と心の持ち方を見直すうちに、今は痛みに悩まされることはなくなりました。
ちなみに、ちょっと珍しい心の体験の話は、こちらに書いています。

10年以上って、ずいぶん長い寄り道だね。

ほんとにね。カーナビがあったら
「この先、遠回りです」って何回言われたことか…
その遠回りのあいだに、お金の仕組みの不思議に気づいたり、教えられてきた歴史に違和感を持ったり。
そして2024年4月、吉野敏明先生の「四毒抜き」の考え方に出会いました。
小麦、植物油、乳製品、甘いもの。この四つを控える食べ方です。
それまでの経験が全部つながって、「これだ!」と直感したんです。

もっと早く出会っていたら、遠回りも少し短かったかもしれないね。
今、私が伝えていること
今の私は、体も心も健やかに過ごせています。
四毒を抜いた暮らしは、叔母やご先祖さまにも届いている。
私はそう信じています。
だから私は、これを深めながら、まわりにも伝えています。
ただ、私が知ったことを伝えるだけ。
やるかやらないかは、受け取った人が選ぶこと。
そういう姿勢でお知らせしています。

選ぶのは、いつだって自分自身なんだね。
吉野先生の四毒のお話は、ユーチューブ「吉野敏明チャンネル~日本の病を治す~」でも聞くことができます。
おすすめの本
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