「自分とか、ないから。」を読んで|東洋哲学が教えてくれた、力を抜く生き方
この本に、なぜ惹かれたのか
著者のしんめいPさんへ。
ごめんなさい。途中、涙を流して笑いました。
この国は学歴があれば順風満帆な人生が歩めると思っていた節があり
あと、要領も良ければ最強。
と考えてきた私でしたが、間違ってました。
哲学的な内容もさることながら、失敗談にとても人間味を感じ、この本が大好きになってしまいました。
なんだか、生きにくさを感じている人にも響く内容だとも思います。
紹介します♪
以下よりどうぞ🌈

「自分とか、ないから。」とは、どんな本か
著者のしんめいPさんは、東京大学を卒業したあと、
・大手IT企業
・地方での教育事業
・フリーランス
・お笑い芸人

…と、いくつもの道を試しては行き詰まり、
最終的に実家の布団から出られなくなった人です。
そこで出会ったのが、東洋哲学。
・ブッダの無我
・龍樹の空
・老子と荘子の道
・達磨の禅
・親鸞の他力
・空海の密教
約1000冊の東洋哲学の本を読み込んだ末に、しんめいPさんがたどり着いた結論が、
このタイトルです。
自分なんて、ない。

これだけ聞くと突き放されたように感じるかも?
だけど、本の中身は正反対なの。
専門用語をほとんど使わず、著者自身の「生きづらかった経験」を通して、驚くほど軽い言葉でこの結論に連れていってくれます。

自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学
ブッダが見つけた「無我」という答え
本の冒頭で語られるのが、ブッダの物語です。
「本当の自分」を見つけようと、
ブッダは6年間、体を痛めつける厳しい修行を続けました。
けれど、本当の自分は見つかりません。
死にかけていたある日。
近くにいた女性が差し出したお粥を、ブッダは食べる選択をします。
それまでの修行がすべて無駄になると分かっていながら、です。
体力を取り戻し、大きな木の下で瞑想したブッダが悟ったのが「無我」でした。
「自分」というのは、ただの思い込みであって、
この世界は本当はすべてつながっている、という気づきです。
固定された「自分」を守ろうとするからこそ、人は苦しくなる。

この本は、そこから始まるんだよね。
「力を抜いてもいい」と言ってくれる哲学たち
・老子と荘子の「ありのままが最強」
・達磨の「言葉はいらない」
・親鸞の「他力本願でいい」
・空海の「欲があってもいい」
どれも共通しているのは、
もっと頑張れ、ではなく、力を抜いていい、という方向を向いていること。
特に親鸞の章は、しんめいPさんの筆致が際立つ場所です。

「ダメなやつほど救われる」という逆転の発想は、
自分の努力や意志の力に疲れてしまった人にこそ、
ボディーブローのように効いてくるぞww
呼吸と、食養生と、この本

実は私も東洋哲学というか、実践の方に昔から興味があって、ブッダさんの伝えた呼吸観察の方法、及び全身観察の方法は実践しています。
30年近く生活に取り入れているのだけど、効果はあり、ただ再現性がないのと、感じ方への個人差が激しいため、公にしていません。
東洋哲学の実践をしていくと、自然に食養生にもたどり着くようになってるんじゃないかなと私は思ってます。
逆に食養生から東洋哲学に辿り着く人もいるけどね。順番はどちらでもよくて、生きることが楽しくなる方向性が示せたらいいなと思ってこの記事を書きました。
こんな人に読んでほしい
- 「本当にやりたいこと」を探し続けて、疲れてしまった人
- 頑張ることに、少し疲れている人
- 難しい哲学書には手が伸びないけれど、東洋思想には興味がある人
- 四毒抜きや呼吸の実践をしていて、その理由をもう少し言葉にしたい人
おわりに
「自分とか、ないから。」というタイトルは、投げやりな言葉ではありませんでした。
自分を無理に固めようとするのをやめたとき、初めて軽くなる。
ブッダも、親鸞も、空海も、方法は違っても、同じ場所を指していたように思います。
私にとっての純和食(四毒抜き)や呼吸の実践も、たぶん同じ場所を目指しているのだと、この本を読んであらためて感じました。

自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学
参考にした資料
- しんめいP 著『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版、監修:鎌田東二)
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